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2026.09.12

築100年を迎える草加市立歴史民俗資料館。校舎から資料館へ、建物が歩んだ100年

草加市立歴史民俗資料館は、もともと1926年(大正15年)に建てられた旧草加小学校西校舎です。

草加市の公式サイトが「埼玉県初の鉄筋コンクリート造校舎」と紹介する建物で、2026年9月に竣工から100年を迎えます。

草加駅東口から歩いて約10分。

住宅や店舗が建ち並ぶ道を歩いていると、その中にひときわ重厚感のある建物が現れます。

外観に派手な装飾があるわけではありません。それでも実際に建物を目の前にすると、長い年月を重ねてきたことが伝わってきます。

現在は草加の歴史や文化を紹介する資料館として使われていますが、かつてはここで何世代もの子どもたちが学んでいました。

なぜ、まだ木造校舎が一般的だった100年前の草加で、鉄筋コンクリート造の校舎が建てられたのでしょうか。

その歴史をたどると、関東大震災や校舎火災、建設を支えた地域の人々、そして学校としての役割を終えた建物を後世に残そうとした市民の存在が見えてきます。

旧草加小学校西校舎、100年の歩み

年出来事
1925年(大正14年)草加小学校で校舎火災が発生。6教室が全焼、3教室が半焼
1926年(大正15年)鉄筋コンクリート造の旧草加小学校西校舎が完成
1979年(昭和54年)学校校舎としての使用を終了
1983年(昭和58年)草加市立歴史民俗資料館として開館
2008年(平成20年)草加市では初めての国の登録有形文化財(建造物)に登録
2026年(令和8年)竣工100周年

100年前に学校として誕生した建物が、現在は草加の歴史を伝える資料館として残されています。

ここからは、その100年の歩みをもう少し詳しくたどっていきます。

すべての始まりは、1925年の校舎火災だった

現在の歴史民俗資料館につながる大きな出来事が起きたのは、建物が完成する前年の1925年(大正14年)3月でした。

当時の草加小学校で火災が発生し、6教室が全焼。さらに3教室が半焼する大きな被害を受けました。

その2年前の1923年(大正12年)には、関東大震災が発生しています。多くの建物が倒壊し、火災による被害も広がりました。

そうした時代に草加小学校でも校舎火災が発生したことで、新しい校舎には地震や火災への強さが求められるようになります。

そこで計画されたのが、当時としてはまだ珍しかった鉄筋コンクリート造の校舎でした。

現在では学校やマンション、公共施設などで一般的な鉄筋コンクリート造ですが、1920年代の学校建築では木造が主流でした。

草加で計画された新校舎は、当時としては先進的なものだったのです。

総工費48,530円。建設を支えた地域の人々

建設時の様子(出典:草加市公式ホームページ)

鉄筋コンクリート造の校舎を建てるには、大きな問題がありました。

建設費です。

新校舎には木造校舎と比べて倍以上の費用が必要だったとされ、当時、校舎建設の認可を所管していた埼玉県も計画に当初難色を示しました。

それでも計画は実現します。

今回、草加市立歴史民俗資料館に電話で取材をしたところ、旧草加小学校西校舎の総工費は48,530円。

その内訳は、

卒業生・新入生の親御さん、町民の寄付 12,530円
繰入金 16,000円
町債(町による借り入れ) 20,000円

だったとのことです。

総工費の約4分の1を、卒業生や新入生の親御さん、町民の寄付が占めていたことになります。

100年前の人々がどのような思いで寄付を決めたのか、そのすべてを現在知ることはできません。

しかし、総工費48,530円のうち12,530円が寄付だったという数字からも、新校舎の建設に地域の人々が深く関わっていたことが分かります。

この背景を知ったあとに建物を見ると、シンプルな外観も少し違って見えました。

華やかさを求めるのではなく、地震や火災に強い校舎を造る。その目的のために建てられた建物だったことが感じられます。

設計したのは草加小学校の卒業生・大川勇

新しい校舎を設計したのは、建築家の大川勇です。

大川勇自身も草加小学校の卒業生でした。

その後、粕壁中学校、早稲田大学で学び、地元・草加に建築設計事務所を開設。生涯に数多くの学校建築を手掛けています。

そして1926年(大正15年)9月、新しい西校舎が完成しました。

建物は鉄筋コンクリート造2階建て。各階には3つの教室が設けられ、合わせて6教室。屋上も運動場として利用できる構造になっていました。

正面から見ると、中央上部が山型に立ち上がり、その左右には縦長の窓が規則正しく並んでいます。

完成当時、鉄筋コンクリート造の学校校舎はまだ珍しく、この近代的な建物を見ようと県内外から見学者が訪れたといいます。

現在は周囲に住宅や店舗などが建ち並び、建物も草加の街並みの一部になっています。

しかし、1926年当時の草加にこの鉄筋コンクリート造2階建ての校舎が現れたと考えると、その存在感は現在以上だったのではないでしょうか。

50年以上、草加の子どもたちが学んだ校舎

校庭から見た完成した旧草加小学校西校舎(出典:草加市公式ホームページ)

1926年に完成した西校舎は、その後50年以上にわたって草加小学校の一部として使われました。

大正から昭和へ。戦前、戦後、高度経済成長期と社会が大きく変化する中、この建物では何世代もの子どもたちが学んできました。

館内には、建設中だった1926年の姿から完成当時、1965年、1972年、資料館として開館した1983年、その後の姿まで、建物の変化を追える写真が展示されています。

1960年代には普通教室として使われ、その後は音楽室や家庭科室などとしても利用されました。

完成当初には県内外から見学者が訪れた近代的な校舎も、長い年月の中で次第に「歴史ある校舎」へと変わっていきます。

館内に残された写真を順番に見ていくと、建物だけでなく、その時代ごとの子どもたちの学校生活まで想像できます。

廊下や教室に残る「学校だった頃」の面影

資料館を実際に歩いてみると、展示資料だけでなく、建物そのものからも旧校舎だった頃の雰囲気を感じることができます。

特に印象に残ったのが廊下です。

筆者には現在の学校よりもやや狭いつくりに感じられました。

現在は廊下にも資料が展示されているため、当時とまったく同じ状態ではありません。それでも細長く続く廊下を歩いていると、

「ここを昔の小学生たちも毎日歩いていたのだろうか」と想像したくなります。

館内には、大きな黒板が残された部屋もあります。

黒板や木製の腰壁、窓などを見ると、ここが実際に学校として使われていた建物であることを実感できます。

「昔の教室」を再現した展示ではなく、実際に子どもたちが学んでいた校舎の中を歩けることも、この資料館の魅力の一つです。

展示を見るだけでなく、廊下や窓、壁、教室などにも目を向けてみると、建物の100年をより身近に感じられます。

校舎としての役割を終え、市民の声で残された建物

西校舎は1979年(昭和54年)をもって、学校校舎としての使用を終えました。

しかし、建物の歴史はそこで終わりませんでした。

今回、歴史民俗資料館への電話取材で保存に至った経緯について伺ったところ、建物を残すうえでは市民の声も大きかったとのことです。

その後、旧西校舎は改修され、1983年(昭和58年)11月1日に「草加市立歴史民俗資料館」として開館しました。

子どもたちが授業を受けていた校舎が、今度は草加の歴史や文化を伝える場所になったのです。

さらに2008年(平成20年)には、旧草加小学校西校舎が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

草加市では初めての国登録有形文化財です。

正面中央部を山型に立ち上げた外観や、規則正しく並ぶ縦長の窓など、初期の鉄筋コンクリート造校舎の特徴を現在に伝える建物として評価されています。

歴史民俗資料館は、貴重な資料を展示しているだけではありません。

資料を展示している建物そのものが、草加の歴史を伝える文化財です。

草加市立歴史民俗資料館のみどころ

想像以上に大きかった、約5300年前の丸木舟

館内には、縄文時代から近現代まで、草加周辺の歴史をたどることができる資料が展示されています。

その中で筆者が特に印象に残ったのが、市指定有形文化財「綾瀬川(旧新田村)出土丸木舟」です。

この丸木舟は1929年(昭和4年)、現在の金明町付近で、綾瀬川の川底にたまった土砂を取り除く浚渫(しゅんせつ)工事をしていた際に発見されました。

年代測定では約5300年前、縄文時代前期のものとされています。

実物を見るまでは、もっと小さな舟をイメージしていました。

ところが、目の前にすると想像していた以上に長く、大きなものでした。

そして何より印象に残ったのが、

「5300年前に人が使っていたものが、今、自分の目の前にある」ということです。

「縄文時代」という言葉を知っていることと、当時の人が実際に使ったものを目の前で見ることはまったく違いました。

あまりにも長い時間を経た本物が残っていると思うと、不思議さとともに、筆者は少し怖さのようなものさえ感じました。

現在の草加には住宅や道路が広がっています。

しかし、この地域にはるか昔から人々の暮らしがあったことを、実物で感じさせてくれる展示です。

今とはまったく違う、江戸時代の草加宿

もう一つ、館内で思わず足を止めたのが「草加宿模型」です。

この模型は、1751年(宝暦元年)に作成された『増補行程記』や、1806年(文化3年)の『日光道中分間延絵図』などに描かれた草加宿を参考に、資料館職員と子どもたちによって制作されました。

模型を見ると、現在の草加とはまったく違う風景が広がっています。

日光道中に沿って家々が並び、その周囲には広大な田畑。綾瀬川や用水も見ることができます。

現在の街並みを知っているだけに、

「ここが本当に同じ草加なのか」

と思うほどでした。

古地図だけでは想像しにくい街の姿も、立体模型になることで、街道沿いに家が集まり、その周囲に田畑が広がっていたことが直感的に分かります。

宿場町として栄えた草加と、その周囲で農業を営みながら暮らした人々。

現在の住宅街にも、まったく違う風景が広がっていた時代があったことを教えてくれます。

草加宿、芭蕉、せんべい、皮革。さまざまな草加の歴史

館内では、縄文時代だけでなく、その後の草加の歩みも知ることができます。

江戸時代の草加を語るうえで欠かせないのが、日光道中の宿場町「草加宿」です。

松尾芭蕉と河合曽良を描いた「奥の細道行脚之図」の複製をはじめ、『おくのほそ道』や草加宿に関する資料も展示されています。

現在も市内には旧日光街道や草加松原が残っているため、資料館で歴史を知ってから実際に歩いてみるのも面白そうです。

また、鋤や鍬などの農具、昔の生活道具、草加せんべいの製造に使われた道具など、昔の暮らしや産業を知る展示もあります。

草加の皮革産業については、皮をなめし、染色し、乾燥させ、革製品へ加工していく工程が紹介されています。

「草加といえば草加せんべい」というイメージを持つ人も多いと思いますが、資料館を歩くと、宿場町、農業、せんべい、皮革など、さまざまな歴史や産業が現在の草加につながっていることが分かります。

子どもと一緒に「昔の草加」を知る場所にも

筆者が訪れた日は、大人だけでなく、子どもを連れた家族の姿も多く見られました。

「歴史民俗資料館」という名前から、少し堅い施設を想像する人もいるかもしれません。

しかし館内には、約5300年前の丸木舟や草加宿の模型、昔の農具や生活道具、草加せんべいを作るための道具など、実物や模型を見ながら楽しめる展示があります。

さらに建物自体が約100年前の学校です。

子どもなら、「昔の学校ってこんな感じだったんだ」と現在の学校との違いを探してみるのも面白いかもしれません。

縄文時代から現在までの草加の歴史を一つの建物の中でたどれるので、

「草加って昔はどんな場所だったんだろう?」

そんな疑問を親子で一緒に考えるきっかけにもなりそうです。

2026年、旧草加小学校西校舎は竣工100周年

1926年9月に完成した旧草加小学校西校舎は、2026年9月に竣工100周年を迎えます。

草加市では、この節目に合わせて建物の歴史を振り返る企画が行われています。

2026年9月12日(土)から11月15日(日)には、100周年記念特別企画展、

「旧草加小学校(現歴史民俗資料館)竣工100周年―小学校から資料館へ―」

が開催されます。

建設に関する資料や、小学校として使われていた時代、歴史民俗資料館になってからの歩みなどを通して、建物の100年間を振り返る内容です。

旧西校舎で実際に学んだ卒業生が、自身の思い出を語る映像も展示予定とされています。

100年前に新しい学校として誕生した建物が、現在は草加の歴史を伝える場所になっている。

竣工100周年は、これまで訪れたことがない人にとっても、この建物を知る良い機会になりそうです。

建てるときも、残すときも。地域に支えられた100年

1926年に完成した旧草加小学校西校舎。

学校としての役割を終えた後には、市民の声も建物の保存を後押ししました。

そして現在は、草加の歴史を伝える資料館として使われています。

かつては、ここで草加の子どもたちが学びました。

現在は、子どもから大人まで、ここで自分たちが暮らす草加について学ぶことができます。

「学校」から「歴史民俗資料館」へ。

用途は変わっても、学びの場所であることは100年後の現在にも受け継がれています。

草加市立歴史民俗資料館を訪れる際には、展示されている資料だけでなく、廊下や窓、教室、そして建物そのものにも目を向けてみてください。

普段何気なく歩いている草加の街にも、長い時間が積み重なっていることを感じられるかもしれません。

草加市立歴史民俗資料館の基本情報

施設名
草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)

住所
埼玉県草加市住吉1丁目11番29号

開館時間
午前9時~午後4時30分

休館日
毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
年末年始(12月29日~1月3日)

入館料
無料

アクセス
東武スカイツリーライン「草加駅」東口から徒歩約10分

駐車場
なし

※開館日時や企画展などの内容は変更される場合があります。訪問前に草加市公式サイトで最新情報をご確認ください。

よくある質問(FAQ)

草加市立歴史民俗資料館の建物はいつ建てられましたか?

1926年(大正15年)9月に、草加小学校の西校舎として完成しました。2026年9月に竣工100周年を迎えます。

なぜ鉄筋コンクリート造の校舎が建てられたのですか?

1923年の関東大震災の教訓に加え、1925年に草加小学校で発生した火災で多くの教室を失ったことなどを背景に、地震や火災に強い鉄筋コンクリート造の校舎が計画されました。

建設費はいくらだったのですか?

草加市立歴史民俗資料館への取材によると、総工費は48,530円でした。

内訳は、卒業生・新入生の親御さんからの寄付12,530円、繰入金16,000円、町債20,000円です。

建設には地域の人たちも関わったのですか?

はい。総工費48,530円のうち12,530円が卒業生や新入生の親御さん、町民からの寄付で、総工費のおよそ4分の1を占めていました。

誰が設計した建物ですか?

草加小学校の卒業生でもある建築家・大川勇が設計しました。

現在も草加小学校の校舎として使われていますか?

学校校舎としての使用は1979年に終了しました。その後改修され、1983年11月1日に草加市立歴史民俗資料館として開館しました。

国の重要文化財ですか?

重要文化財ではなく、国の「登録有形文化財(建造物)」です。2008年に登録され、草加市では初めての国登録有形文化財となりました。

どんなものが展示されていますか?

約5300年前の綾瀬川(旧新田村)出土丸木舟をはじめ、草加宿、松尾芭蕉と『おくのほそ道』、昔の農業や暮らし、草加せんべい、皮革産業など、縄文時代から近現代までの草加周辺の歴史や文化を紹介する資料が展示されています。

子どもと一緒に見学できますか?

できます。丸木舟や草加宿の模型、昔の生活道具など、目で見て楽しめる展示もあります。

筆者が訪れた際にも、子ども連れの家族が多く訪れていました。入館料は無料です。

参考文献・参考資料

・草加市「建物竣工100周年 歴史民俗資料館にようこそ!」
・草加市「ホームページ企画展『カメラが写したある学び舎の100年―旧草加小学校西校舎竣工100周年―』」
・草加市「100周年記念特別企画展『旧草加小学校(現歴史民俗資料館)竣工100周年―小学校から資料館へ―』」
・草加市「草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)」
・草加市「歴史民俗資料館に何が展示されているのですか」
・草加市「綾瀬川(旧新田村)出土丸木舟」
・文化庁「文化遺産オンライン 草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)」
・草加市立歴史民俗資料館 館内展示
・草加市立歴史民俗資料館への電話取材(2026年9月)
・筆者現地訪問・撮影(2026年8月・9月)

筆者:Soka_admin

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#歴史

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