2026.08.26

草加ってどんなところ? 宿場町の記憶が息づく、綾瀬川のまち


「草加」と聞いて、まず何を思い浮かべるでしょうか。草加せんべい、という方が多いかもしれません。でも、草加はせんべいだけのまちではありません。江戸時代から続く宿場町としての記憶、綾瀬川と松並木がつくる風景、そして今も進化を続ける暮らしのまち。今回は、そんな草加の姿を少し掘り下げてご紹介します。

東京のすぐ隣、埼玉県東南部のまち

草加市は埼玉県の東南部に位置し、東京都足立区と隣り合っています。都心へのアクセスの良さから、通勤・通学のまちとしても発展してきました。人口は約25万人。決して小さなまちではありませんが、少し歩けば旧街道の面影や水辺の風景に出会える、ほどよいスケール感が魅力です。

日光街道二番目の宿場町「草加宿」

草加の歴史を語るうえで欠かせないのが、江戸時代に整備された日光街道の宿場町「草加宿」です。江戸・日本橋から数えて二番目の宿場として1630年前後に成立したと伝えられ、参勤交代や日光社参、旅人の往来でにぎわいました。松尾芭蕉も『おくのほそ道』の旅の途中で草加に足を留めたことで知られています。

宿場ができる前、このあたりは沼地だったといわれ、その埋め立てや整備に大量の草が使われたことが「草加」という地名の由来になったという説もあります。まちの成り立ちそのものに、人の手で土地を切り拓いてきた歴史が刻まれているのです。

かつての旧日光街道沿いには、今も蔵造りの商家など、宿場町の面影を伝える建物が点在しています。何気ない街並みの中に、当時の記憶がそっと残っているのも草加らしさのひとつです。

草加松原と綾瀬川がつくる風景

草加のもうひとつの顔が、綾瀬川沿いに広がる「草加松原」です。旧日光街道に沿って続く松並木は、江戸時代の街道風景を今に伝えるものとして国の名勝にも指定されています。松並木の中には、和風の太鼓橋である矢立橋・百代橋が架かり、橋の上からは松並木と川面を一望できます。

かつて松の本数が減少した時期もありましたが、地域の人々による保護活動によって守られてきたという経緯もあります。景観は、誰かが手をかけ続けてきたからこそ今も残っている、という点も草加松原の大切な物語です。

産業と暮らしが調和するまち

草加は、良質な米がとれる穀倉地帯だったことから、せんべいづくりが根付いた土地でもあります。また、皮革製品や本染め浴衣など、地域に根差した伝統産業も受け継がれてきました。一方で高度経済成長期には大規模な団地開発や鉄道網の整備が進み、都市としての顔も大きく発展しています。

歴史ある宿場町の記憶と、現代的な暮らしのまちという二つの顔を併せ持っていることこそ、草加という土地の面白さだと言えるでしょう。

おわりに

草加は、江戸時代から続く「人が行き交うまち」としての性格を、今も静かに受け継いでいます。旅人が行き交った街道は、今では住民や事業者、地域を訪れる人々が行き交う場所へと姿を変えました。草加の架け橋は、そんな草加というまちの「つながる力」を、これからの時代に合った形で育てていきたいと考えています。

筆者:theme_admin

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#草加宿 #歴史 #日光街道

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