埼玉県草加市。
街の中を歩いていると、突然、長い松並木と大きな太鼓橋が現れます。
その名は、百代橋(ひゃくたいばし)。
一見すると、江戸時代からこの場所に架かっている橋のようにも見えます。
しかし、百代橋が完成したのは1986年。
意外にも、比較的新しい橋です。
では、なぜこれほど「昔の草加」を感じる橋が造られたのでしょうか。
名前の由来は、松尾芭蕉『おくのほそ道』
「百代」という少し聞き慣れない言葉。
その由来は、松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭にあります。
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
「百代」とは、永遠ともいえる長い年月のこと。
橋の名前には、草加松原という歴史的な風景を、これから先の世代にも残していきたいという思いが込められています。
芭蕉も歩いた「草加」
1689年、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅へ出発しました。
千住から日光街道を北へ進み、その最初の宿場の一つとして登場するのが草加宿です。
『おくのほそ道』にも、
「その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり」
と草加の名が記されています。
現在、百代橋の下から続いているのが草加松原。
綾瀬川沿い約1.5kmにわたって松並木が続き、江戸時代から日光街道の名所として親しまれてきました。現在は国指定名勝「おくのほそ道の風景地 草加松原」にも指定されています。
橋の上に立つと、草加の「昔と今」が一緒に見える
百代橋の面白さは、橋そのものだけではありません。
橋の上から見てみると、中央にはまっすぐ伸びる松並木。
その向こうには、現代の草加の街並みやマンションが見えます。
江戸の旅人たちが歩いた日光街道の記憶と、現在の都市の暮らし。
その二つが、一つの風景の中にあります。
だから百代橋は、単なる歩道橋というより、
「昔の草加と、今の草加をつなぐ橋」
なのかもしれません。
草加せんべいだけではない、草加を歩いてみる
草加と聞いて、最初に思い浮かぶのは「草加せんべい」という人も多いはず。
もちろん、それも草加を代表する文化です。
でも、少し街を歩いてみると、
日光街道、草加宿、綾瀬川、松尾芭蕉、草加松原、百代橋、矢立橋。
いくつもの歴史が、現在の街の中にそのまま残っています。
百代橋を渡り、そのまま松並木を歩く。
たったそれだけでも、いつもの草加とは少し違う景色が見えてきます。
「月日は百代の過客にして」
300年以上前に芭蕉が書いた言葉を名前に持つ橋から、もう一度、草加という街を眺めてみる。
そんな散歩も、いいかもしれません。